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【十三仏信仰】仏教から習う|冥土の旅路の十三仏

13人の冥府の王とは、現世で救いの手を差し伸べる仏様の化身。

死後49日間に7日ごと7回の追善供養をするインドの風習と、ヤマ(のちの閻魔大王)が「死者の命運を裁く」というヴェーダ(宗教的文献)の考えが中国に伝わり、道教の俗信仰が加わって「十王信仰」となりました。

それが日本に伝わったのは平安時代。さらに密教系の3仏が加わり、室町時代に「十三仏信仰」が完成しました。

その十三仏の役割をみていきましょう。

~ 四十九日

冥府の王は7日ごと7回にわたり亡者の生前の行いを審判し、次に生まれ変わる世界を決定します。

不動明王(秦広王)

まだ残るこの世の迷いや未練を、お不動様の恐ろしい形相で断ち切ります。

初七日(しょなのか)
裁判官は「秦広王(しんこう-おう)」。

仏教で最も重い戒めのひとつが「殺生」。
人間に限らず、虫、動物、植物、生き物の命を奪ったかどうかが審判されます。

食べることは他の命を頂くことですから罪にはなりますが、他者の命を奪っておいて「不味い」と言ったり、むやみに捨ててしまったりと命を尊ばない行為が裁かれるようです。

ちなみに、「いただきます」は、「あなたの命を頂きます」ということです。
他者の命を粗末に扱わないようにしましょう。

秦広王の審判を終えた亡者は「三途の川」を渡ります。

この川を渡る方法は罪の重さに応じた3ルート。
行いが良い→ 立派な橋を渡る
軽微な罪→ 浅瀬をざぶざぶ歩く
重罪→ 深くて流れの激しい場所を力ずくで渡る。岩に砕かれても再生し、途中リタイヤはできません。

釈迦如来(初江王)

現世への未練を断ち切ったところで、二七日・三七日・四七日を釈迦三尊が担当します。

二七日(ふたなのか)
裁判官は「初江王(しょうこう-おう)」。
「盗みの罪」が裁かれます。

三途の川を渡り終えた亡者を待ち構えるのは「奪衣婆」と「懸衣翁」。
「奪衣婆(だつえば)」が亡者の装束を身ぐるみ奪って剥がし、「懸衣翁(けんえおう)」がそれを「衣領樹」という巨木の枝に引っ掛けます。

橋を渡ってきた亡者の装束は濡れていないので、枝はしなりません。
浅瀬を歩いてきた者は少し濡れているのでしなりはしますが、深い場所を渡って来た者の濡れ衣とは比べようもないくらいです。
そうやって生前の罪の重さが測られます。

ちなみに、「濡れ衣」とはここからきていて、潔白な者でも濡れ衣を着せられると枝がしなり、無実の罪で罰せられてしまう、ということです。

文殊菩薩(宋帝王) 

三七日(みつなのか)
裁判官は「宋帝王(そうてい-おう)」。
「邪淫の罪」が裁かれます。

現世では、不倫や不貞行為は当人が黙っていれば隠し通せてしまうのでタチが悪い。
宋帝王の前ではそれが暴かれてしまいます。

王の問いに誠実に答えないと、男には猫が爪で体を切り裂き、女には大蛇が巻き付いて骨を砕く、という苦痛が与えられます。

普賢菩薩(五官王)

四七日(よつなのか)
裁判官は「五官王(ごかん-おう)」。
「口と心の罪」が裁かれます

仏教のおける悪行とは、三業(身口意)に分かれています。

一、身業(しんごう)
  身体による動作やふるまい。
  ・不殺生:生き物を殺す
  ・不偸盗:盗み
  ・不邪淫:倫理に反する男女関係

一、口業(くごう)
  口から発する言葉。
  ・不妄語:嘘
  ・不綺語:飾った言葉
  ・不悪口:悪口や中傷
  ・不両舌:二枚舌

一、意業(いごう)
  心の中で思う事。
  ・不慳貪:欲張り
  ・不瞋恚:憎しみ
  ・不邪見:偏見

身業は先の王たちが裁いたので、ここでは口業4つと意業3つ、合計7つが秤にかけられます。

地蔵菩薩(閻魔王)

お地蔵様は、お釈迦様が無くなってから56億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまでの間、衆生(命あるもの)を正しい道に導きます。恐ろしい閻魔様の本地は優しいお地蔵様なのです。

五七日(いつなのか)
裁判官は「閻魔王(えんま-おう)」。

いよいよ閻魔大王の登場です。
先の4人の王が記録した閻魔帳を元にもう一度取り調べられます。

亡者が「浄玻璃(じょうはり)の鏡」の前に立たされると、生前の行いが全て(良いことも悪いことも)映し出されます。
証拠があらわになり、言い逃れが出来ない状況です。

さらに、「人頭杖(にんずじょう)」(男と女の生首が乗った杖)が控えています。
亡者が嘘をつくと男の口から炎が噴き出し、正直に答えると女の口から花びらが舞って善悪を閻魔大王にお知らせする役割です。

結局、ここで嘘をついても浄玻璃の鏡によって一瞬でバレるので、正直に答えたほうがよさそうです。

この審理で亡者がどの世界に転生するかが決定します。
極楽にいくのか、六道(りくどう)に戻されるか、です。

六道輪廻とは生前の行いの結果により、死後6つの世界に生まれ変わり続けることです。

・地獄道:責め苦が最も激しい
・餓鬼道:飢えと渇きに苦しむ
・畜生道:弱肉強食が原則
・修羅道:感情的な対立が絶えない
・人間道:苦しいが学びがある(←今、ここ)
・天道:楽しいがそれもいつか終わる

この六道輪廻から抜け出し、極楽往生することが仏教の目的です。
(「解脱」といいます)

弥勒菩薩(変成王)

お釈迦様が亡くなったのはおよそ2500年前。そこから56億7000万年後に現れるとされる未来仏です。

六七日(むなのか)
裁判官は「変成王(へんじょう-おう)」。
生まれ変わりの条件が具体的に定まる。

さて、ここまで来た亡者は自分の犯した罪にさいなまれ、徳を積んでこなかったことを後悔しますが、今さらどうにもなりません。

閻魔大王によって決定された転生先、例えば「地獄界」に転生が決まると、その中でも8つの階層がありますから、どこに行かねばならないのかが決まります。

一番厳しいのは「阿鼻地獄」(無間地獄)といって、間を置かず(無間)に苦しみがやってくる場所です。

「阿鼻叫喚」という言葉はここからきていて、阿鼻地獄と叫喚地獄が組み合わさり、凄まじい苦しみと叫び声が絶えない様子のことです。

この変成王の本地は“未来仏”の弥勒菩薩ですから、次の転生の姿を具体的に絞り込む役割とされています。

薬師如来(太山王)

心と身体の病を癒して来世へ送り出す、という有難いお役目です。

七七日(なななのか)
裁判官は「太山王(たいざん-おう)」。
最後の審判です。

閻魔大王が転生先を決め、変成王がその詳細を決めました。
最後にもう一度、極楽に送るか六道に送るかの審議があります。

これまでは「亡者本人の行い」の結果、六道に送る決定をされましたが、ここでは遺族に「供養されたかどうか」が見られます。

葬儀も法要もなく誰からも供養されていない=人徳の無い生き方をしていた、と判断され六道行きが確実になるのです。

ここで一区切り。
香典が「御霊前」から「御仏前」に変わるのもこのタイミングです。

~ 三回忌

阿弥陀三尊のお慈悲が始まります。
7回の審理で転生先が決まらなかった場合の審理の場でもあります。

ここからは遺族の追善が亡者のポイントアップになっていくので、心を込めて供養しましょう。

観音菩薩(平等王) 

百ケ日

苦しむ亡者に救いの手を差し伸べ、また、遺族に「むさぼりの心」を起こさぬように、と説いています。

遺産相続で揉めたりする時期だからでしょうか。

勢至菩薩(都市王)

一周忌

都市王は遺族の「怒り」の心を戒めます。
(もはや亡者よりも遺族が主役)
地獄行きの判決を受けた亡者であっても、この審判で一発逆転の可能性があるようです。

亡者本人は死んでいるのですから努力のしようがありません。
命運を握るのは遺族のふるまいです。

五道転輪王(阿弥陀如来) 

三回忌

死後2年後に待つのは極楽浄土の主である阿弥陀如来です。
亡者の懺悔と遺族の追善により救済される、とされます。

百か日 - 観音菩薩
一周忌 - 勢至菩薩
三回忌 - 阿弥陀如来
 
阿弥陀如来とその両脇を固める阿弥陀三尊が担当です。

~ 三十三回忌

ここからは密教系の仏様です。
仏教の壮大な宇宙感をもって亡者と遺族を導きます。

阿閦如来(蓮華王)

阿閦(あしゅく)とは「物事に動じず」という意味です。

七回忌

生きている内に「怒らない」という人はいません。
感情のまま怒ると後で後悔するもので、一旦冷静になることが悟りへの道へ導かれることになります。

大日如来(祇園王)

十三回忌

「大日如来」は読んで字のごとく、太陽のエネルギーです。
もし太陽が無かったら誰も何も命がありません。
私たちがこうして生きているのも大日如来(太陽)のおかげなのです。

「お天道様が見ているから悪いことしちゃダメ」
お天道様は大日如来のことなのでしょうね。

地を照らし命を育んでいるのは大日如来の慈悲ですから、それに感謝することで大自然のパワーを頂け、悟りの世界にたどり着くことができるのだと思います。

虚空蔵菩薩(法界王)

十三仏信仰の最後は虚空蔵菩薩です。
「虚空」とは「果てしない広大な空」のことで、空の蔵。
そこに収蔵されている尽きることのない智慧と福徳を、私たちに授けてくれる仏様です。

三十三回忌

三十三回忌(または五十回忌)で亡者はご先祖様の魂に合流すると考えられ、「弔い上げ」とされることが多いようです。

大いなる智慧と福徳を与えられ、亡者は悟りの境地に導かれるのです。

以上が亡者と生者を正しい方向へ導く十三仏です。
とはいえ、信仰を持たずに仏事をしてもただの形式に過ぎません。
死後の世界を信じ、極楽浄土を目指して善を積むことが、「生きていても死んでも幸せ」と思えるようになるのかなと思います。

近所で地獄巡り

伊豆南方面にある恐ろしい地獄をご紹介します。

河津町 栖足寺

「十王図」

毎年1月と8月に特別公開される10幅の掛軸です。

詳しくはこちらから

地獄の有様を描いたのが地獄絵です。
こんなに恐ろしい責め苦に合うなら死んでしまいたい!
と思いますが、もう死んでます。

南伊豆町 善福寺

「地獄極楽図」

公開時期は不明です。

伊豆88遍路 第60番 善福寺

南伊豆町 吉祥院

奪衣婆座像と十王座像

三途の川を渡り終えたところで衣服をはぎ取る「奪衣婆」がいます。

曹洞宗 吉祥院

伊豆市 伊豆極楽苑

巡ってみるのが一番かも。
伊豆極楽苑

地獄に仏

このような地獄に行きたくなければ、「日々の行いを正そう!」という気になりますね。
普段から六波羅蜜の実践で正しい道を行くことができますので、みんなで頑張りましょう。

これは仏教版「引き寄せの法則」とも言え、何が起きても良い心持ちで毎日過ごせます。
お金がかかることでもないので、やらないと損です。

冥土の旅路の十三仏は、ただ私たちに恐怖を与えているのではなく、正しく一生を終えるよう導いてくれているのです。


生きていれば辛いことも悲しいこともありますが、そもそも六道の「人間道」とはそういうところ。
むしろ、地獄でなくて良かったなと前世の自分に感謝したいところです。

仏教の世界に興味が尽きません。

- おしまい –

人生の苦しみや困難に直面したとき、智慧は荒波の中で光る灯台のような深い慰めとなります。心が押しつぶされそうなときにそっと寄り添う言葉や日本人としての誇りなど、宗教・慣習・歴史、ジャンルを問わず溜めていくブログです。この溜池から今のあなたに刺さる智慧があれば幸いです。

富田孝繁のイメージ
お墓のスペシャリスト
富田孝繁
お墓に携わってほぼ四半世紀。建てる・直す・磨くなど技術の習熟のみならず、人間だけが”埋葬”することの意義や死生観を皆様と共有したく発信していきます。 趣味はテニス、三度の飯より酒が好き。
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