【尊き英霊への慰め】稲生澤村

下田市立野、仏源寺の頂上にあるのは戦没者の忠魂碑です。

【碑正面の題号】忠魂碑
左下に
「陸軍大将男爵田中義一書」
とあります。
田中義一(たなかぎいち)は第26代内閣総理大臣です。
1864-1929

軍人として学び、日清戦争に従軍。
ロシアを研究し、日露戦争では満州軍参謀で活躍しました。
1918年(大正7年)54歳
陸軍大臣になった後、男爵に叙され陸軍大将に進級。
1927年(昭和2)63歳
第26代内閣総理大臣に就任。
1929年(昭和4年)65歳
満州での張作霖爆殺事件の責任を取る形で内閣総辞職、そのわずか3か月後に死去。

【碑裏面】「大正十年十一月三日建立」
明治天皇の誕生日、明治節です。
正面の「忠魂碑」の文字は、田中義一が大正7年に陸軍大将男爵となったあと、大正10年までの間に揮毫されたものだということが分かります。
(54歳~57歳ごろ)
【碑裏面左下】
「賛助 静岡縣賀茂郡稲生澤村」
「發起 帝國在郷軍人會稲生澤村分會」
と彫られています。
「帝國在郷軍人會」は、明治43年に発足された予備役の方々の集まりで、昭和20年8月31日に解散されました。
この「帝国在郷軍人会」の稲生沢支部が発起、同村が賛助し、この忠魂碑が建立された、ということが記録されています。
この時代、全国で同じように忠魂碑が建立されましたが、敗戦後GHQによって多くが撤去されてしまったそうです。本当に野蛮な連中です。

次に、脇にある石碑です。

「日華事變
大東亜戦争 戦死者忠魂副碑」
と横書きで彫られており、その下は縦書きです。
日華事変(支那事変)と大東亜戦争、稲生沢地区から出征して戦死された133名の階級とお名前がズラリと彫られています。
裏面に回れなかったので、建立年は正確には分かりません。
大東亜戦争の後ですので、昭和20~30年代でしょうか。

この忠魂碑があるのは、下田市立野にある仏源寺の一番上です。
大正10年にこれほど大きな石を頂上まで運ぶのは大変なご苦労があったはずで、それほどまでに戦死者を悼む気持ちがあったことが伝わってきます。
おそらく昔はさえぎる木もなく、下から手を合わせていたのではないでしょうか。

忠魂碑から見える景色
英霊の方々は今の私たちをどう見ているのでしょうか。
「死んだ甲斐があった」
と言ってもらえるのでしょうか?
ひとりひとりが考えて行動しないと、英霊が残してくれた日本は無くなるのかも知れません。
場所:下田市 仏源寺

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